徒然

どうしてかなと

思っていたことがありました。

 

ひとつめは著名な有名人・芸能人の二世タレントの不祥事についての成人に対しての親の釈明会見

ふとつめは殺傷沙汰の事件についてです。

 

ひとつめの親の釈明会見は先日ある方がテレビにて腑に落ちた

コメントを残されています。

親の偉大さを越したら(不祥事を起こした)子供に対して親が会見をすることはなくなるのではないかと。本人が釈明会見をするようになるだろうと。

 

なるほどと思いました。

切磋琢磨している子供にとっては痛くて辛い話ですが

年齢的には大人になっても親の庇護のもとにいるのは致し方ない現実です。

自分では気づいていないかもしれませんが、

先祖や親に守られています。

 

ふたつめは

いまタイムリーとなっている事件についてですが

事件を起こした方はひどい言葉をたくさん使っています。

本来言葉も使っていい言葉と

使ってはよくない言葉とあるはずです。

じゃあ

なんで使って悪い言葉が実在するの?

となると人に説明する際に

意味が通じなくなる場面に遭遇するので

創られたのではないかと想像します。

もし言葉に囚われることがあるならば

よくない言葉よりいい言葉に囚われたい囲われたい包まれたいです。

 

出来うるかぎりいい言葉をつかっていきたいものです。

そして

まわりである第三者になった時でも

おや?おかしいな?

と、当事者たちの予兆を気に掛けられるようでありたい。

 

ちょっと

もうひとつ気になる時事がありましたので付け足します。

 

水曜日郵便局というプロジェクトがあるそうです。

鮫ヶ崎という場所にポストが設置されているようです。

設置されているポストの手前には

周りにたくさん蔦が生い茂った古くて小さくて暗い

トンネルがあります。

たぶん

暗いトンネルの先に

明るく広がる光と

どこかの誰かとつながる灯台のような郵便ポストが

なければ行くのを足踏みしてしまいそうな雰囲気です。

でも

そこには海原を航海する人が迷わずに

陸地へ無事に辿り着けるよう

導こうとする灯台のような灯りが確実にあるのです。

行って見たい場所です。

投函された郵便物はここではないどこかへ発送されるようです。

(詳しくは検索してみてください。)

とても素敵な試み・プロジェクトだと思います。

 

水曜日郵便局を利用している方のコメントも気になりました。

手紙の結びに『今日も良い一日を』とか『幸せないちにちを』

といった言葉が使われていることが多いと言います。

 

ほんわかとなる言葉をつかえたら

まわりもほんわかとします。

大人になったら

選ぶ自由があります。

真似するとしたら

いいことを真似するを選択したいですね。

 

もうひとつ付け加えます。

とあるところに住んでいる女性がいます。

こどもたちにご飯を食べさせています。

どういった境遇でしょうか。おなかをすかせた子供たちは

はじめするどい目つきをしているそうです。

ご飯を食べてその女性の包み込む優しさがわかったのか

安心して信頼したのか

安堵の表情を浮かべるそうです。

その女性は訴えます。

『どういった境遇・環境で育ったとしても排除するのではない』といいます。

考えさせられますね。

 

 

どうか穏やかないちにちをお過ごしください。

 

筆 一月三舟