転がる草に釘付け

隙間や路地裏、余白などが好きで

縁側のようにフレキシブルに活用できる空間や

無駄に大きな土間や玄関がすきです。

多目的に使える場所は

効率的には無駄な空間のように見えます。

ですが

時にはハイパワー、ハイスペックな活躍をみせます。

 

 

ぎっちぎちで整然としていて少しの隙間もなく

皆が同じ方向をいっせいに向いていて

も効率的にはいいかもしれません。

 

でも

休める場所がない気がします。

容れたいときに容れる場所がないのです。

これは人にも当てはめていえるのではないでしょうか。

 

おおきなお屋敷、玄関を入った先に屏風が置かれている

風景を見かけたときがあります。

『素敵ですね』

というと

これは襤褸隠しなのよ

と言われました。

 

奥ゆかしさも含めて、見えてない部分でさえも美しい。

 

はたまた、オープンな方もそれまた全部が自分と言った感じで

パワフル全開で素敵です。

 

陰と陽

 

画一化は

なんの魅力も自由も無くなってしまうような気がします。

 

餌を確実にもらえるが自由のない籠の鳥がいいのか

餌はとれるかとれないか分からないけれど

空を自由に飛べる鳥がいいのか

 

餌は確実にもらえて自由に飛べる鳥がいちばんいいのですが・・

餌はもらえず籠の中がいちばんつらそうです。

 

それを模索しているのかもしれません。

 

トップには小さなとりこぼしを根こそぎ吸引しようという

管理重視ではなく

なにかを生み出すかもしれない

利益を生み出すかもしれない

自由なツバサに援助・後方支援という追い風を排出して

ロングターンの目を求めたいです。

 

 

個々の成長を慈しみ育み促す仕組みがあってほしいです。

 

西部劇でお馴染みの荒野に転がる草

「タンブルウィード」真剣な面持ちのガンマンの横で

我関せず、ほのぼの転がる草。

西部劇といったらあの転がる草を思い浮かべます。

風に吹かれてるだけに見えて

一見なんの意味もないような草にだって

なにかの役目がある。

 

転がる草は種子をあちこちに蒔いているそうです。

荒れた大地に生きる(デメリット)と風を利用(メリット)して

ころころ転がり

子孫をあちこちに残しているようです。

 

近年では転がる「ダンブルウィード」がたくさん集まって

人を困らせてるとか。

なんだかおもしろい。

両方とも生きている、それだけのことなんですけどね。

 

筆 一月三舟