どう感じるのも自分次第

愛知県の先人に呼ばれた気がしたので

来てみました。

 

西尾市吉良町

吉良と云えば『赤穂浪士』でお馴染みの『吉良上野介』です。

劇中では悪者になっていますが、

そもそもひとに善悪・優劣などつけられるのでしょうか。

勧善懲悪がドラマチックにさせますが

人生にそれを当てはめ、持ち込むのは

度が過ぎるように感じています。

 

 

感覚で動き

何故気になったのだろう、どうしてだろうと

あとから調べてみるといった感じに過ごしています。

 

吉良町

江戸時代にはさまざまな領主のもとにあったとされ

千葉の大多喜藩や埼玉の川越藩といった

自分にも馴染みや由縁のありそうななまえがでてきます。

 

交通網が発達していなかった昔でも

日本中あちこち移動をしていたことに驚きをかくせません。

 

山形県庄内では

詩人の茨木のりこさんが庄内の地に眠っていることをはじめて知り

改めて名前と詩を知ることになりました。

力強く素敵な言の葉の数々・・

心象に深く届いていきました。

 

[自分の感受性くらい]が胸にずしんと響きます。

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

分かりました!

気になるところは行って見ます!

 

地名に惹かれます。昔から使われていた地名はシンプルです。

瓦町は瓦を創っていたのかしらとか

通称からついたのかもしれないなと浪漫が膨らみます。

 

愛知県入りして目にした

吉良吉田・・なんだか行って見たい。

 

海が見えて清々しい。きらきらと輝く水面。

水平線の向こうに半島だか島なのか霞んで見えるのも幻想的です。

あそこではどんな暮らしがあるのだろうと

空想も膨らみます。

 

ああこれがもういちど見たかったのですね。

吉良吉田は茨木のり子さんが育った地だそうです。

 

 

『わかれ!』

なぜか重要な時に自分の身近な人に言われてきました。

それ以来、いろいろなことを分かろうとしています。

魂の叫びでしょうか。

『わかってほしい』ヒト・モノ・コトがたくさんあるようです。

 

筆 一月三舟